「さなだんごの旅」の真田ゆかりの地を巡る

真田ゆかりの地を巡る

武田家の滅亡後、独立大名への道を歩み始めた場所である上州(群馬)。徳川軍と二度にわたって退けた上田城をはじめとする信州(長野)。「さなだんご」では、この二つのエリアにフォーカスした真田ゆかりのスポットを訪ねていきます。

上州・群馬県
信州・長野県
上州・真田の地 群馬県

「幸村」と「信之」が幼少時代から青年期を過ごした群馬県には、「真田太平記」における前半部のエピソードが集中しています。武田家最後の主君「勝頼」を守り抜くつもりであった難攻不落の天然の要害「岩櫃城(いわびつじょう)」。太平記では、昌幸が草の者の頭領「壺屋又五郎」に指示を与えたり、信之、幸村に真田家の行く末を語った部屋「地炉の間」のシーンが思い出されます。北条氏との激烈な争いの最前線であった沼田城も真田家の重要な拠城。特に、信之と敵味方に別れて西軍についた昌幸と幸村が城主不在時に開門を迫った際、武装した兵士とともに信之の妻「小松姫」が門前払いするシーンで有名です。沼田城の支城である「名胡桃城」も、太平記では、人気キャラクター「お徳」が昌幸の娘「於菊」を生んだ場所として印象深いです。この名胡桃城を北条氏に奪われた「鈴木主水」が、武士の責任を取って切腹したのが沼田にある正覚寺、これがきっかけで豊臣秀吉の「小田原征伐」につながるなど、歴史的にも大きな意味を持っています。正覚寺には「小松姫」も眠る墓もあります。親子三人が一丸となって外敵と戦った姿や、野山を駆けて暗躍する真田家の忍者部隊「草の者」たち。岩櫃と沼田の間を馬を早駆けして行き交う使者の様子など、群馬県の真田ゆかりの地には、時を超えて様々な想いを巡らせる醍醐味があふれています。

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  • 全ての始まりはここ中之条から
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信州・真田の地 長野県

「沼田城」を真田の敵国北条へと差し出そうとした「徳川家康」との対立。7,000対1,200の不利にもかかわらず、知略と戦術で徳川軍を散々に打ち負かした「第一次上田合戦」。その後、「真田討伐」として家康の嫡男「秀忠」が率いる38,000の大群を、わずか2,000の兵で迎え撃った「第二次上田合戦」。圧倒的に不利なこの戦いでも一旦降伏すると見せかけながら戦闘準備を完全整備。相手を引きつけての一斉射撃や、堰き止めておいた川を反乱させるなど、「表裏比興の者」としての面目躍如。結果として、関ヶ原の戦いに向かう命も受けていた徳川軍の足止めに成功。強力な援軍としての働きを期待された秀忠は、関ヶ原に間に合わないという大失敗を引き起こして家康に叱責されます。家康に二度も煮え湯を飲ませた名合戦の舞台「上田城」は、まさに真田観光のシンボルです。他にも、真田太平記で戦の傷を癒すために訪れた幸村が、はじめて女忍者「お江」と出会った「別所温泉」や、太平記に関する資料が並ぶ「池波正太郎真田太平記館」。沼田城主から上田城主、そして初代藩主として松代へと移封した「真田信之」の居城「松代城」に、貴重な資料が保存されている「真田宝物館」など、長野には真田ゆかりのスポットが多数存在しています。

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