1531年に土地の有力者「沼田氏」によって築城された「沼田城」は、
複数の川に侵食されてできた崖を生かした堅城で、上杉、北条、武田も欲しがった軍事上の重要拠点でした。
1581年に武田の家臣として沼田氏より奪った「真田昌幸」は、武田滅亡後に織田、北条、徳川と
主君を変えながらも、奪われ、奪い返しを繰り返して沼田城にこだわり続けました。
「真田の沼田城」と聞いて印象深いのが、信之の父「昌幸」と妻「小松姫」のエピソードです。石田三成の挙兵を知った真田親子が、昌幸・幸村は豊臣家、信之は徳川家と二つに分かれた際、最後に孫の顔を見に訪れた昌幸と幸村を息子の嫁が追い返した話。「義父であってもすでに敵と味方、主人(信之)の留守中に、城内には入れられませぬ」。敢然と言い放つ小松姫は家康の養女だが、もともとは徳川四天王の一人で天下無双と謳われた本多忠勝の娘。
父譲りの気の強さと聡明さで申し出を跳ね返した対応を「さすがは武士の妻女」と認め、昌幸は城近くの「正覚寺」に泊まることにします。翌日、護衛を連れて寺を訪れた小松姫が昌幸に孫の顔をみせるという話からは、切れ者の舅と気丈な嫁、そしてその場にいなくとも存在感を放つ信之の人柄が生き生きと伝わってきます。野球グラウンドにテニスコート、かつてそびえていた五層の天守閣も今は無く、「沼田城址」として数多くの樹木が生い茂る市民公園となった沼田城ですが、石垣の跡や点在する石碑には様々な歴史が記されています。何より高台から平野を見下ろしながら、公園内に吹き渡る風を受けていると、信之や小松姫、そして幾多の武将が生き抜いた戦国の息吹が感じられるようです。
沼田城/〒378-0042 群馬県沼田市西倉内町594/
Tel.0278-23-2111/Googlemapを見る
毎年4月上旬から下旬にかけて沼田公園では、敷地内にある210本の桜が咲き誇り多くの出店が立ち並びます。中でも20mもの枝を広げるヒガンザクラ「御殿桜」は、樹齢400年以上を誇る公園を象徴するシンボル。夜には鐘楼とともにライトアップされ、幻想的な姿で訪れた人々の目を楽しませてくれます。
沼田城から歩いて約7分、レトロな雰囲気を残す商店街の中に「東見屋まんじゅう店」があります。こじんまりとした店内に座って頼むのは「味噌まんじゅう」。まんじゅう生地に濃厚な味噌ダレを塗って焼く菓子で群馬県内では「焼きまんじゅう」として親しまれていますが、こちらのお店のそれは一味違います。大きめサイズに最初はびっくりしますが、生地・味噌ともに食べ味が軽く、ひと口食べると後を引く感じで一気に食べ終えてしまいます。
東見屋まんじゅう店/〒378-0044 群馬県沼田市下之町875-7/Tel.0278-22-3470/営業時間 9:00 〜 19:00/定休日 不定休/駐車場無/Googlemapを見る
長男信之の妻として真田家のために尽くした小松姫は、病の療養のため江戸から草津に来る途中の埼玉県鴻巣市で、元和六年(1620年)に享年48歳で亡くなります。火葬された骨は第二の故郷でもあるここ群馬県沼田の正覚寺に分骨されました。法名は大蓮院殿英誉皓月大禅定尼。妻の死を聞いた信之が「我が家の灯火が消えたり」と嘆いたことからも、多くの人に慕われたであろう彼女の墓(宝篋印塔)は、沼田市の重要文化財に指定されています。
正覚寺は、真田家の家臣「鈴木重則」が自害した場所でもあります。北条の謀略によって「名胡桃城」を奪われたことを恥じた城主重則は、立ったまま切腹する「立腹」で武士の忠義を示したという記録が残っています。諸説はありますが豊臣秀吉が仲裁した真田との和議を破った北条は、秀吉が送り込んだ21万もの大軍による小田原征伐で1590年に滅亡することとなります。
正覚寺/〒378-0018 群馬県沼田市鍛冶町938/Tel.0278-22-2959/駐車場有/Googlemapを見る
ジャムでもアンコでもクリームでもない。群馬では有名な沼田市のフリアン洋菓子店の味噌パンは、県内産の小麦粉を100%使用して作られる柔らかなフランスパンと、甘辛く風味の良い特製味噌だれの相性が抜群。生地のまわりに味噌を塗る「焼きまんじゅう」は、食べると口のまわりに味噌がついてしまうので、パンの中に塗ったのがきっかけとか。1972年の発売以来、40年以上も愛され続けているロングセラーなんです。
フリアン ビバタウン店/〒378-0053 群馬県沼田市東原新町1456ビバタウン沼田/Tel.0278-24-1822/営業時間 10:00 〜 19:00/定休日 無休/駐車場有/Googlemapを見る