

長男信之の妻として真田家のために尽くした小松姫は、病の療養のため江戸から草津に来る途中の埼玉県鴻巣市で、元和六年(1620年)に享年48歳で亡くなります。火葬された骨は第二の故郷でもあるここ群馬県沼田の正覚寺に分骨されました。法名は大蓮院殿英誉皓月大禅定尼。妻の死を聞いた信之が「我が家の灯火が消えたり」と嘆いたことからも、多くの人に慕われたであろう彼女の墓(宝篋印塔)は、沼田市の重要文化財に指定されています。

正覚寺は、真田家の家臣「鈴木重則」が自害した場所でもあります。北条の謀略によって「名胡桃城」を奪われたことを恥じた城主重則は、立ったまま切腹する「立腹」で武士の忠義を示したという記録が残っています。諸説はありますが豊臣秀吉が仲裁した真田との和議を破った北条は、秀吉が送り込んだ21万もの大軍による小田原征伐で1590年に滅亡することとなります。
正覚寺/〒378-0018 群馬県沼田市鍛冶町938/Tel.0278-22-2959/駐車場有/Googlemapを見る


