

名胡桃城の元となった名胡桃館の主「鈴木主水」は、1578年に真田昌幸が沼田へ侵攻した際に臣従し、真之が城として改修した後も城主として守備を任されました。真田太平記にも描かれた二人の信頼関係は、この史実から生まれたのかもしれません。武田家の滅亡後、幾度となく沼田の領土争いを続けていた真田と北条ですが、利根川を挟んだ沼田城を含む2/3を北条、名胡桃城を含む残り1/3を真田が治める条件で豊臣秀吉が仲裁します。
しかし北条は偽の書状で主水を騙し、名胡桃城までもを奪います。主水は奪回を試みますが果たせずに、責任を取って切腹。この名胡桃城事件がきっかっけとなり、和議を反故にした北条を攻めたのが秀吉の小田原征伐です。そして北条の滅亡、豊臣秀吉の天下統一。わずか10年しか使われなかったとは言え、「名胡桃城」は後の歴史を変えるほどの事件の舞台でした。主水の死後、昌幸に引き取られた鈴木主水の息子「右近」も、昌幸の長男「信之」を長年に渡り支え続け信之の死の二日後に殉死するほどの絆で結ばれていました。
名胡桃城/群馬県利根郡みなかみ町下津3462/Tel.0278-62-0793(名胡桃城跡案内所 : 営業時間 9:00〜16:00、定休日 木曜日)/ Googlemapを見る

