さなだんごの旅/真田の人々と歴史/岩櫃城

難攻不落 断崖絶壁に立つ天然の山城
岩櫃城本丸址
幼き幸村が暮らした岩櫃城に思いを馳せながら険しい山へ

父「真田幸隆」より仕える家臣として、「真田昌幸」は最後まで主君「武田勝頼」を織田信長より守り抜くつもりでした。もし勝頼が昌幸とともに断崖絶壁の地形を生かした山城「岩櫃城」に2、3年籠城していれば、その後の歴史は大きく変わったともされています。真田太平記では、昌幸が草の者の頭領「壺屋又五郎」に指示を与えたり、信之、幸村に真田家の行く末を語った部屋「地炉の間」のシーンが思い出されます。

真田の重要拠点「岩櫃城」は、群馬県吾妻城吾妻町に今もその足跡を残しています。群馬百名山でもある「岩櫃山」の断崖絶壁の様相からも、難攻不落の城であった威容が伺い知れます。登山口から木々が茂る山道を歩いて登ること10分程度。本丸跡に建物の名残はありませんが、吾妻八景の一つである名勝地としての雄大な眺めが眼下に広がります。毎年11月3日に行われる「紅葉祭」では、県内外より多くの見物客が訪れます。
岩櫃城/〒377-0801 群馬県吾妻郡東吾妻町原町1935/駐車場有/Googlemapを見る

岩櫃城本丸址
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