「さなだんごの旅」の真田ゆかりの地を巡る

祖父母・幸隆夫妻 父・昌幸の墓参りに真田山長谷寺へ
美しい木立の中に静かに佇む墓 真田を築いた武将、ここに眠る

武田信玄に仕えた武将のうち、特に評価の高い臣下とされるのが世に名高い「武田二十四将」。真田幸村の父「真田昌幸」は、父の幸隆、兄の信綱・昌輝とともに24人に数えられることもあり、これほどの評価を受けた家は真田家だけだとされています。徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍の決戦「関ヶ原の戦い」では、息子「幸村」とともに西軍に味方。東軍を援護するために「関ヶ原」へと向かう、家康の嫡男「徳川秀忠」率いる3万数千の強大な徳川軍を、わずか2千の兵隊で迎え撃ち足止め。ついには到着させませんでした。

長谷寺
長谷寺

敗北した西軍についた「昌幸」と「幸村」は死罪を申し渡されますが、徳川の臣下として厚い信頼を得ていた長男「真田信之」の願いで和歌山県の九度山に蟄居の身となります。その後「幸村」は再び徳川に立ち向かいますが、父「昌幸」は65歳の生涯を九度山で閉じることになります。いつの日か故郷に戻ることを願っていた「昌幸」の遺品は真田の郷へ運ばれ、長谷寺で眠る父と母の隣に埋葬されました。信玄の勇猛な部下として、才覚あふれる一国の武将として、ここには戦場を駆け抜けた二人の魂が静かに眠っています。

真田山長谷寺/〒386-2201 長野県上田市真田町長4646/Tel.0268-72-2040/Googlemapを見る

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